レポート

ベルリンなるへそ世界新聞プロジェクト レポート 

2011年7月2日

ベルリンなるへそ世界新聞プロジェクト レポート 

2011年6月1日から5日までベルリンDMY国際デザインフェスティバルが開催された。元テンペルホフ空港を会場とするこのイベントは今年で9年目を迎える。会場の特性を生かし、飛行機を格納するハンガーや広大な滑走路にもはみ出すように設置された数々の展示ブースは開放感にあふれ、空港の工房スペースを活用して行われた我々のワークショップ/展示は落ち着いた雰囲気で時の経過を感じさせる佇まいであった。

今回我々が開催した「ベルリンなるへそ世界新聞」は、都市の変遷のシュミレーションとしての新聞プロジェクトである。
元々はクリエイティブデザインシティNagoya2009のために「名古屋なるへそ新聞」としてデザインされたワークショップで、今回はそのベルリン/国際バージョンである。
新聞という媒体のレイアウトは内容やエリアの形が複雑に入り組んでいて、都市の中で様々な意味や機能を持つ建物や場所が複雑な形で入り組んで存在している様子と似ている。
その新聞の紙面を版を改める度に完全に新しいデザインとして一気に刷新するのではなく、街が徐々に変化していくようにワークショプ参加者と一緒に期間中終わることなく少しずつ変化させていき、最終日までにどのような「新聞=街」になっていくのかを見届けていくプロジェクトである。

DMYフェスティバル用に用意したのは近代の新聞レイアウトが成立した19世紀頃のドイツの新聞に1960年代旧東ドイツの新聞のレイアウトを混ぜて作られた「古い街としての新聞」である。そのBerliner Naruheso Welzeitung0号紙は英語/ドイツ語(一部日本語)で書かれており、記事をワークショプ参加者とともに一つ一つ新しい記事に差し替えていく。

新しい建物を建てる前に古い建物を取り壊して空き地を作らねばならないように、この新聞でも一つの記事を書く前に古い記事を実際に切り抜いて紙面に空き地を作るというプロセスを踏んでいった。連日沢山の来場者が途切れる事なく我々のワークショップスペースを訪れ、プロジェクトに対する興味や新聞という媒体への愛情や、街や人の変化、紙を切り貼りして情報を作る事の楽しみなど数々の話題を語っていった。

ベルリンなるへそ世界新聞制作過程

ベルリンなるへそ世界新聞制作過程

新しい場所に新しい街を作り出す事と、既に存在する都市の新しい姿を作る事ではその過程や意味に大きな違いがある。都市には既に多くの人が住み、個人や公が所有する場所や建物をどうするのか、人をどうするのか様々な問題や要素が山積している。仮想的な都市としての「ベルリンなるへそ世界新聞」の新しい姿を作るに際して我々と参加記者達の取材対象は「昔すんでいて今はもう無くなってしまった家や建物の思い出」だ。人は自分の住んでいた都市のディティールの記憶とともにその街に生きていて、個人個人にとっては見えない多層的な過去の街が現在の街に重なって存在していると考えるからである。プロジェクトの趣旨に強く興味を引かれた来訪者達はワークショップの参加者として我々の新聞の記者となり、会場に訪れる人々を取材して新しい記事を一つずつ作っていった。取材をされるという形で参加した方々も1つの思い出から2つ3つと「もう今は無くなってしまった家」というキーワードから久しぶりに思い出すことを楽しんでくれているようだった。

毎日の変化は少しずつでも何年かたつうちにすっかり街が変わっているのに気づくように、この新聞も期間中繰り返し版を重ね最終日の16版目ですべての紙面が変わっている。このプロジェクトは単純に新しい紙面デザインや機能的で美しいデザインに到達することを目指している訳ではなく、このようにして街は変化していくということを意識しながら、都市の記憶を新しい都市に移築していく実験であり、その改版プロセスや媒体のあり方そのものに意味を持つものである。全般的にプロダクトデザインが多いこのDMYフェスティバルの中において都市デザインに焦点をあてた異彩を放つプロジェクトとして現地のNPR(国営公共ラジオ)のWeb記事の中でもピックアップされていた。近代の新聞や印刷を生み出した国であるドイツの中で、東西ベルリンの壁崩壊以来急速に街が変化を続けているデザインシティであるベルリンでこのプロジェクトを行えた事も大変に意義あることであった。

山田亘
村田仁

AUTHOR PROFILE

山田亘&村田仁

山田 亘
写真/メディア表現。PAC/PACell 主宰。
日本映像学会会員。1964年名古屋市生まれ。1993 州立オハイオ大学大学院 芸術学修士MFA(写真)。現在、名古屋芸術大学、名古屋造形大学、日本デザイナー芸術学院等で非常勤講師。
[Reflected Identity]
ヒューストン国際写真祭(1994)、[IDENTIDADE REFLETIDA]
第2回サンパウロ国際写真ミーティング(1995)、[MEDIALOGUE]
東京都写真美術館(1998)、[ZEITGENOSSISCHE FOTOKUNST AUS JAPAN]
ドイツ国内の4美術館巡回展(1999-2000)、[記憶の星座化]マサチューセッツ州(2003) [Light Boxes / Dark Rooms]
 ミシガン州(2004)、[人工夢]
名古屋市民芸術祭 (2005)、[シンガポール国際写真フェスティバル]
SIPF (2008)、[presence & absence]
1st FAIC バンコク(2009)、[映像メディアのコンテクスト]名古屋芸術大学(2009)、[あいちアートの森] あいちアートの森実行委員会 (2010) 、[きろくのきおく](企画・作品)文化フォーラム春日井 (2010) 、[球殻の空]名古屋大学プロジェクトギャラリー 「clas」(2011) 、[なんだかうれしい] 愛知児童総合センター (2011)、[Berliner Naruheso Weltzeitung] DMY International Design Festival ベルリン (2011) など。

村田 仁
詩人。
1979年 三重県生まれ。2004年 名古屋芸術大学大学院造形専攻同時代表現研究修了。[記憶の星座化] マサチューセッツ州(2003)、[おじいさんに会いにいく、冬。] ファミリーマート豊橋店(2005)、 [ブレーメン・ナゴヤアートプロジェクト site scenes](2005-6)、[愛についての100の物語] 金沢21世紀美術館(2009)、 [心音 こころね - タテタカコさんとのライヴパフォーマンス] 千種文化小劇場(2010)、[きろくのきおく] 文化フォーラム春日井(2010)、[声変わりの日] 三重県立美術館(2011)、[Berliner Naruheso Weltzeitung] DMY International Design Festival ベルリン(2011)、[線跡 -senseki-] GALLERY GOHON(2011)など。

(2011年7月現在)

日時2011年6月1日(水)~4日(土)
会場

ベルリン テンプルホフ飛行場

主催クリエイティブ・デザインシティなごや推進事業実行委員会
DMY Berlin GmbH & Co. KG

ディレクター:山田 亘 村田 仁

特別協力:ゲーオルグ・シュマールホーファ

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